☆彡ハッピーレッスン
✱自分の心が相手にも反射して良くも悪くも同じように見える
現代の私たちは、物体に当たって反射した光が眼球から入り、それが網膜を刺激して物が見えることを知っている。
古代西洋の学者たちは人間の目が何物かを発し、それが対象物に当たって跳ね返ってそれによって我々に物が見えると考えていた。
現代のロボットこまさにこのようである。
ロボットは自分の方から電波を発して物体を見ている。
又動物のウモリもやはり、レーダーでもって対象物を見ていると言われている。
実は仏教もこの説に近いものがある。
仏教の考え方を比ゆ的に説明すると次のようになる。
私たちは各人特有の「視線」を自分の方から対象に向けて発射し、それが対象に当たって反射してきたものをキャッチして、対象を認識している。
だから、此方がびくびくしている時は、此方が発する「視線」がびくびくしているから、枯れすすきを見ても幽霊に見えるのである。
みんな他人とは違った「視線」を発するから、各人各様の見え方をする。
仏教はそのように考えている。
ゆえに、此方が「冷たい視線」を発すると相手が冷たく見えるのである。
此方が好意を持った眼差して相手を見れば相手も好意をもった眼差しになる。
だとすれば、私たちは愛情を含んだ眼差しで、相手を見、感謝の心で対象物を見ると世の中は平和になるのではなかろうか。
これにて、一件落着、めでたし、めでたし~。
人生は一度だけ、でもね リセットは何度でもOK♪~ 楽しまなくっちゃ♪~
Good Luck!! 幸運を祈ります! おきばりやす。
以上はひろさちや著「捨てちゃえ、捨てちゃえ」より一部抜粋&加筆
★ひろさちや(1936年(昭和11年)7月27日 - )は、日本の宗教評論家であり、多数の一般向けの解説書を執筆している。本名は増原 良彦(ますはら よしひこ)。自称「仏教原理主義者」。
人物
大阪府大阪市に生まれ北野高校を経て、東京大学で印度哲学、仏教学を学び、気象大学校で教鞭を執る。教員生活の傍ら、「ひろさちや」のペンネームで平易な言葉で多数の入門書を執筆し、一般の人々に仏教を身近な物として再認識させた。ペンネームの由来は、ギリシア語で愛するを意味するPhilo(フィロ)と、サンスクリット語で真理を意味するsatya(サティヤ)の造語である。本名名義での著書・訳書もある。
また、超宗派の仏教信者の集まりである「まんだらの会」を主宰していたが近年「まんだらの会」活動を終了した。 本来の仏教を伝えるべく執筆と講演活動を行なっている。
ひろさちや自身は浄土宗の人間である。
略歴
1936年 大阪市にて誕生
1960年 東京大学文学部印度哲学科を卒業
1965年 東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専門課程博士後期課程修了、気象大学校講師に就任
1985年 気象大学校を退職
大正大学客員教授に就任
宗教文化研究所所長
受賞歴
1980年 日本雑学大賞
著書
主な著書(共著含む)に「学校では教えてくれない宗教の授業」「般若心経入門 生きる智慧を学ぶ」「書き込み式「般若心経」練習帳 初めてでもすぐに“写経”が楽しめる! 」「仏教の釈迦・キリスト教のイエス」「法然 念仏に生きる」「知識ゼロからの南無阿弥陀仏入門」「阿呆の知恵 自分らしい人生を送るための25のヒント」「狂った世間をおもしろく生きる」「親鸞 非僧非俗に生きる」「しっかり死ぬということ 死は大事な仕事」「「がんばらない」お稽古」「ひろさちやの『維摩経』講話」「面白いほどよくわかる世界の宗教/宗教の世界」「いい言葉が、心を掃除する つらいとき、困ったときは仏教に触れてみよう!」「釈尊と十大弟子」「下りる。 日本に生まれた不運をあきらめるために」「人生はあきらめるとうまくいく」「現代の課題に応える仏教講義」「すらすら読める正法眼蔵」「釈迦最後の旅 『大般涅槃経』を読む」「「善人」のやめ方」「仏教はじめの一歩」「なぜ仏教で人は救われるのか 超現代仏教論」「釈迦とイエス 彼らは、いかにして「人間」を超えたか」「捨てちゃえ、捨てちゃえ」「三世をみつめる 日本人の未来・現在・過去-仏教闘論」「因果にこだわるな 仏教ならこう考える」など多数。
ごきげんよう♪~