世界一貧しい大統領と呼ばれた「ムヒカさん」のハッピーライフ
☆彡ハッピーレッスン
世界一貧しい大統領と呼ばれた「ムヒカさん」のハッピーライフ(^^♪
人口わずか340万人の国でゲリラから投獄そして大統領にまでなった人にホセ・アルベルト・ムヒカさんという人がいた。
ムヒカ氏は独自のやり方で政権を運営し、現実主義と大胆さを示した。
ムヒカ政権下では、比較的好調な国際情勢のもと、ウルグアイ経済は年平均5.4%の成長を記録し、貧困率は低下、失業率も低水準に保たれた。
在任中、消費主義への批判や、同性婚、妊娠初期の人工中絶、嗜好(しこう)用大麻の合法化といった社会改革を推進した。
ムヒカ氏は、各国の元首が通常するような、公邸への入居を拒否した。
代わりに、政治家であり元ゲリラでもある妻ルシア・トポランスキー氏と共に、モンテビデオ郊外の質素な自宅で暮らした。家事を手伝う人はおらず、警備も最小限にとどめていたという。
常にカジュアルな服装で、1987年製の水色の独フォルクスワーゲン(VW)「ビートル」を運転する姿が頻繁に目撃されていた。また、給与の大部分を寄付していたことから、一部のメディアはムヒカ氏を「世界で最も貧しい大統領」と呼んだ。
でもね♪~、
その時、彼は言う「みんな誤解しているね。私が思う『貧しい人』とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない」そういう人は終わりのない競争の中にいる」と。
老子の言葉に、「知足者富」とあります。
「足るを知る」は、「身分相応に満足することを知る」という意味であり、
「足りていることを知り、何事にもありがたみをもつ」ということです。
欲望のままに生きた人は、幸福になれないからです。
心が落ち着かず、常に渇愛・渇望状態であり、不満な心を抱え続けなければなりません。
欲望は無限であり、有限の命で満たし切るということはないからです。
あるものを欲しくてお金で買い求めます。するとどうでしょう。それ以上のものまたは別のものが欲しくなるのです。
欲を満たすだけでは幸せになれない「今のままで十分足りていて、幸せである」
ということに気づきましょう。
そのことを元大統領ムヒカ氏は私たちに語り掛けているのです。
ムヒカ氏は「世界一幸せな大統領」であったのでした。
これにて、一件落着、めでたし、めでたし~。
人生は一度だけ、でもね リセットは何度でもOK♪~ 楽しまなくっちゃ♪~
Good Luck!! 幸運を祈ります! おきばりやす。
*名言
「人は苦しみや敗北からこそ多くを学ぶ。以前は見えなかったことが見えるようになるから。人生のあらゆる場面で言えることだが、大事なのは失敗に学び再び歩み始めることだ」
「生きることの奇跡だ。人は独りでは生きていけない。恋人や家族、友人と過ごす時間こそが、生きるということなんだ。人生で最大の懲罰が、孤独なんだよ」
「幸せだと感じるのは自分の人生の時間を使って、自分が好きなこと、やりたいことをしているときさ。
「ファナチシズム(熱狂)は危ないということだ。左であれ右であれ宗教であれ、狂信は必ず、異質なものへの憎しみを生む。憎しみのうえに、善きものは決して築けない。異なるものにも寛容であって初めて、人は幸せに生きることができるんだ」
「日本は進歩を遂げた国だが、それで本当に日本人は幸せなのですか」
「モノを買うとき、人はカネで買っているように思うだろう。でも違うんだ。そのカネを稼ぐために働いた、人生という時間で買っているんだよ。生きていくには働かないといけない。でも働くだけの人生でもいけない。ちゃんと生きることが大切なんだ。たくさん買い物をした引き換えに、人生の残り時間がなくなってしまっては元も子もないだろう。簡素に生きていれば人は自由なんだよ」
★ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダーノ(スペイン語: José Alberto Mujica Cordano、1935年5月20日 - 2025年5月13日)は、ウルグアイの政治家。
2009年11月の大統領選挙に当選し、2010年3月1日より2015年2月末までウルグアイの第40代大統領を務めた。バスク系ウルグアイ人。 愛称は エル・ぺぺ 。
大統領退任後の2016年4月5日から4月12日にかけて日本を訪問し、4月7日には東京外国語大学で講演を行った。
2020年10月20日、高齢などを理由に政界からの引退を表明。
政界引退後は、首都モンテビデオ郊外の農園にある自宅で暮らしている。大の親日家である。
2015年の10月11日インタビューでは、少年時代に近くに住む日本人(日系ウルグアイ人)の造園業の手伝いをして造園のノウハウを学んだことを紹介した。
ブラジルで開催されたリオ会議では、経済の拡大を目指すことの問題点を指摘した。そのスピーチが話題となり、ノーベル平和賞の候補にもなった。
2025年5月13日、食道癌により死去。89歳没。
