ほんの少し捨てただけで、もっと気楽に生きられます。
☆彡ハッピーレッスン
✱こだわりを捨てよ
中国東大の禅僧に趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん778-897年)という中国禅僧最高峰の高僧がいました。
その趙州従諗にある人が尋ねました。
「何もかも捨て去って一物も持っていません。そういう時はどうすればよいのでしょうか」
すると趙州従諗は「捨てちゃえ!」
質問者は反問します。
「すでに何も持っていないのに、何を捨てればいいのですか?」
趙州従諗は
「それじゃ担いでいけ」
お分かりになりましたか?
質問者は何も持たないことが立派なことだと思い、その境地に達したとうぬぼれています。
それに対して趙州は「その"すべてを捨てなければならぬ"」と「こだわりも捨てよ」と教えているのです。
でもね~、質問者にはそれがわかりません。
「それではこだわりを担いでおれ!」というよりないのです。
どうも私たちは「こだわり」を後生大事に抱え込んでいるようです。
「立派に生きなければならぬ、素晴らしい生き方をせねばならぬ」と社会的規範や道徳に縛られています。
その束縛が「こだわり」なのですね。
しんどいですね。
もっと自由に生きましょうよ
もっとのんびり生きましょうよ
もっといい加減に、もっとずぼらに、もっとちゃらんぽらんに生きましょうよ♪~
「こだわり」を捨てて、自由を味わいませんか?
ほんの少し捨てただけで、私たちは間違いなく、もっと気楽に生きられます。
『もしもあなたが貧乏を苦にせず貧乏のそのまんまをゆったり
のんびり、楽しく生きていればひょっとしたら
あなたは金持ちになれるかもしれません。
もちろんなれないかもしれない。
しかし、なれなければなれないで、ゆったり、のんびり、楽しく生きた人生には
大きな価値があります。』
日本人は100点主義である。80点や90点は認められない性分なのである。
もっと肩の力を抜いて
「お気軽に(おきがるに)」
「ケセラセラ♪~なるようになるわ」
「明日は明日の風が吹く」などなど…etc.
ともっと楽観的に生きたほうが良いようです。
※捨てちゃえ♪~捨てちゃえ♪~、どうせひろった恋だもの♪~
初代コロンビア・ローズ
人生は一度だけ、でもね リセットは何度でもOK♪~ 楽しまなくっちゃ♪~
Good Luck!! 幸運を祈ります! おきばりやす。
以上はひろさちや著「捨てちゃえ、捨てちゃえ」より一部抜粋&加筆
★ひろさちや(1936年(昭和11年)7月27日 - )は、日本の宗教評論家であり、多数の一般向けの解説書を執筆している。本名は増原 良彦(ますはら よしひこ)。自称「仏教原理主義者」。
人物
大阪府大阪市に生まれ北野高校を経て、東京大学で印度哲学、仏教学を学び、気象大学校で教鞭を執る。教員生活の傍ら、「ひろさちや」のペンネームで平易な言葉で多数の入門書を執筆し、一般の人々に仏教を身近な物として再認識させた。ペンネームの由来は、ギリシア語で愛するを意味するPhilo(フィロ)と、サンスクリット語で真理を意味するsatya(サティヤ)の造語である。本名名義での著書・訳書もある。
また、超宗派の仏教信者の集まりである「まんだらの会」を主宰していたが近年「まんだらの会」活動を終了した。 本来の仏教を伝えるべく執筆と講演活動を行なっている。
ひろさちや自身は浄土宗の人間である。
略歴
1936年 大阪市にて誕生
1960年 東京大学文学部印度哲学科を卒業
1965年 東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専門課程博士後期課程修了、気象大学校講師に就任
1985年 気象大学校を退職
大正大学客員教授に就任
宗教文化研究所所長
受賞歴
1980年 日本雑学大賞
著書
主な著書(共著含む)に「学校では教えてくれない宗教の授業」「般若心経入門 生きる智慧を学ぶ」「書き込み式「般若心経」練習帳 初めてでもすぐに“写経”が楽しめる! 」「仏教の釈迦・キリスト教のイエス」「法然 念仏に生きる」「知識ゼロからの南無阿弥陀仏入門」「阿呆の知恵 自分らしい人生を送るための25のヒント」「狂った世間をおもしろく生きる」「親鸞 非僧非俗に生きる」「しっかり死ぬということ 死は大事な仕事」「「がんばらない」お稽古」「ひろさちやの『維摩経』講話」「面白いほどよくわかる世界の宗教/宗教の世界」「いい言葉が、心を掃除する つらいとき、困ったときは仏教に触れてみよう!」「釈尊と十大弟子」「下りる。 日本に生まれた不運をあきらめるために」「人生はあきらめるとうまくいく」「現代の課題に応える仏教講義」「すらすら読める正法眼蔵」「釈迦最後の旅 『大般涅槃経』を読む」「「善人」のやめ方」「仏教はじめの一歩」「なぜ仏教で人は救われるのか 超現代仏教論」「釈迦とイエス 彼らは、いかにして「人間」を超えたか」「捨てちゃえ、捨てちゃえ」「三世をみつめる 日本人の未来・現在・過去-仏教闘論」「因果にこだわるな 仏教ならこう考える」など多数。
ごきげんよう♪~