人は他人に言えない悲しみや、苦しみを抱えて生きているものだ。
☆彡心に納める生き方
皆さまも毎日のように経験していらっしゃるかもしれませんが、世の中はなかなか自分の思い通りにはなってくれません。
つい愚痴や不平も出ようというものです。
相田みつをさんの詩に、「だまっているだけ」というのがあります。
だれにだってあるんだよ
ひとにはいえないくるしみが
だれにだってあるんだよ
ひとにはいえないかなしみが
ただ、だまっているだけなんだよ
いえばぐちになるから (相田みつを)
なんとなくわかる気がします。
聖母マリアも「心に納めること」を知り、且つ実行した人でした。
藪から棒の受胎告知に始まり、神の子であるイエスが十字架上で悲惨な死を遂げるのを見守っるまでの三十数年間、マリアの生涯には、「不可解なこと」、「言えば愚痴になること」がたくさんあったと思うのです。
マリアはそれらのことを「ことごとく心に納めていた」と、聖書は記しています。
このように、誰にでも他人に言えない悲しみや、苦しみがあるのだ、そういうものを抱えて生きているのだと思う時、私たちの相手に対する思いとまなざしは、優しくなるのではないでしょうか。
そして、自分もまた、すべて洗いざらいぶちまけることなく、聖母マリアに少しでもあやかって愚痴になることを黙っていられる人になりたいと思っています。
それは決して、自分の感情を抑圧してしまうことではなくて、「神様のなさることに間違いはない。私たちの力に余る試練はお与えにならない。」と神の愛を信じ、納得して、出来事の一つ一つを"胸に温め、花に変えて"神にささげ事なのです。
神のごとくゆるしたい
ひとが投ぐる憎しみを
むねにあたため
花のようになったらば
神のまえにささげたい (八木重吉)
36歳で四年制大学の学長に任命され、その日から、今日までずっと管理職としての日々を過ごしてきました。
その日々の中には嬉しいこともたくさんありましたが、悲しいこと、辛いこともいっぱいありました。
「打ち明けることができたら、口に出していってしまったら、どんなに楽になるだろう」と思う日に、聖母の"心に納めて生きている姿"が、私を制してくれました。
そして、そのような生き方の積み重ねが、今日の私を作ってくれたのです。
「どうして、なぜ?」と、他人を咎めたくなるなる日に、「誰だって、他人に言えない苦しみ、悲しみがある」という思いが、私を少し、優しくしてくれたように思います。
人はそれぞれ、悲しみであれ、苦しみであれ、"目に見えないもの"を持って生きているのです。
このことを忘れないで、自分の生き方を正し、他人の生き方への理解を深めてゆきたいと願っています。
※遥かな人へ 高橋真梨子
人は愛するため 人は生まれた♪~ 苦しみの数だけ 優しくなれるはず♪~
※岡本真夜の「TOMRROW]
涙の数だけ 強くなれるよ ♪~
☆彡今日の一言
①人は他人に言えない悲しみや、苦しみを抱えて生きていることを理解する。
②世の中の一切を心に納めて生きていこう!
③許すことを学ぶ。(どうしても許せないことや人がいたら"許せない自分"を許しましょう。
「まっ、いいか」と水に流して・・・)
一度だけの人生、でもね リセットは何度でもOK♪~ 楽しまなくっちゃ♪~
Good Luck!! 幸運を祈ります! おきばりやす。
以上は渡辺和子著「目に見えないけれど大切なもの」より一部抜粋&加筆
★相田みつを
相田 みつを(あいだ みつを、本名:相田 光男、雅号:貪不安(ドンフアン)、1924年5月20日 - 1991年12月17日)は、日本の詩人・書家。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。書の詩人、いのちの詩人とも称される。
教育 関東短期大学
著名な実績 書道、詩
代表作 にんげんだもの、おかげさん
受賞 毎日書道展入選
つまづいたって
いいじゃないか
みつを
★八木重吉
八木 重吉(やぎ じゅうきち、1898年2月9日 - 1927年10月26日)は、日本の詩人、英語科教師。生前に刊行した詩集は1冊のみで昭和初期に若くして病没したが、死去から約20年が経過した太平洋戦争後にクリスチャン詩人としての評価が高まった。
作品の特徴
短い詩が多いのが特徴であり、103篇をおさめた『貧しき信徒』には、10行を超えるものは2つしか見られない。中には「木に眼が生つて人を見てゐる」(冬)、「神様 あなたに会ひたくなつた」(無題)のような一行詩もある。
この詩集には、長女・桃子が何回も登場するように、幸福な家庭生活を描いたものも散見される。晩年の作品には母親への言及が増え[55]、『貧しき信徒』では桃子・妻・母という「三人の女性」を詠んだ作品が目に付く点を澤村修治は「見のがしてはならない」としている
★渡辺 和子のプロフィール
渡辺 和子(わたなべ かずこ、1927年2月11日 - 2016年12月30日)は、キリスト教カトリック修道女 (修道女名:シスター・セント・ジョン)。 学校法人ノートルダム清心学園理事長。北海道旭川市生まれ。
父は台湾軍司令官や陸軍教育総監を務めた渡辺錠太郎。1936年2月26日、陸軍将校の一部らが起こした軍事クーデター「2・26事件」で、父親が反乱軍の将校らに殺害される場面を9歳のときに自宅で目撃する。
「血の海の中で父は死にました。凄惨な死でございました」
渡辺さんは当時のことをエッセイ集『美しい人に』などでも書いているほか、講演などでも折に触れて当時の様子や、加害者の遺族との「和解」や「赦し」について語っていた。
◆略歴
1927年、北海道旭川市で出生。父親は当時、陸軍中将で旭川第7師団長だった渡辺錠太郎で、53歳の時の子であった。4人兄姉の末っ子で次女。
1936年、成蹊小学校3年生で9歳の時に二・二六事件に遭遇。父の居間で、当時大将で教育総監だった父が青年将校に襲撃され、43発の銃弾で命を落としたのを、わずか1mほどの距離から目の当たりにした。
成蹊小学校、雙葉高等女学校(現 雙葉中学校・高等学校)卒業。
1945年、18歳でキリスト教(カトリック)の洗礼を受ける。1951年聖心女子大学に通いながら上智大学で文書作成のアルバイトをし、1954年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。
1956年、29歳でナミュール・ノートルダム修道女会に入会。
アメリカへ留学し、1962年6月にボストンカレッジ大学院で博士号(哲学)を取得したのち、同年9月にノートルダム清心女子大学教授に就任。
1963年に36歳という異例の若さで岡山県のノートルダム清心女子大学の学長に就任(1990年に退任)。長年にわたり教壇に立ち、学生の心を支え指導する。
1977年にはうつ病を患う。1984年にマザー・テレサが来日した際には通訳を務めるなど多方面で活躍。著書も多数。
1990年にはノートルダム清心女子大学の名誉学長、及びノートルダム清心学園の理事長に就任。1992年~2001年には日本カトリック学校連合会理事長に就任した。
1996年、69歳の時にカルカッタの修道会本部を訪れる。
2012年に発売した著書『置かれた場所で咲きなさい』が、200万部を超えるベストセラーとなった。
2016年12月30日、膵臓癌により死去。89歳没。
◆受賞
1974年 - 岡山県文化賞(学術部門)を受賞
1979年 - 山陽新聞賞(教育功労)を受賞
1979年 - 岡山県社会福祉協議会より済世賞を受賞
1986年 - ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞を受賞
1989年 - 三木記念賞を受賞
2015年 - 広島大学のペスタロッチ賞を受賞[8]。
2016年 - 春の叙勲で旭日中綬章を受章[9]。
◆著書
『信じる「愛」を持っていますか』PHP研究所、1981年
『心に愛がなければ』PHP研究所、1986年
『現代の忘れもの』日本看護協会出版会、1989年
『愛をこめて生きる』PHP研究所、1989年
『愛することは許されること』PHP研究所、1999年
『目に見えないけれど大切なもの』PHP研究所、2003年
『愛と励ましの言葉366日』2004年、PHP研究所
『忘れかけていた大切なこと』2005年、PHP研究所
『「ひと」として大切なこと』PHP研究所、2005年 - 2003年刊行『人間としてどう生きるか』の改題版
『愛と祈りで子どもは育つ』2006年、PHP研究所
『美しい人に』PHP研究所、2008年
『幸せのありか』PHP研究所、2009年
『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎、2012年
『スミレのように踏まれて香る』朝日新聞出版、2012年 - 1970年刊行『人をそだてる』(サンパウロ)の改題、加筆修正版
『面倒だから、しよう』幻冬舎、2013年
『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所、2015年
『どんな時でも人は笑顔になれる』PHP研究所、2017年
『あなたはそのままで愛されている』PHP研究所、2018年 - 遺稿集