悩みのほとんどは取り越し苦労で終わるものだ! 望月泰彦著「どうせ自分なんか」から「こんな自分でも」へ より
人間、日々悩みは尽きません。皆誰でも同じです。
しかし、自分の考え次第では、苦しみというものはかなり軽減されるのです。
そんな私(望月泰彦)の経験談をお話しさせていただきます。
以前仲間とある山に登山した時の話しです。
初めての登山だったので様子がわからず、私(望月泰彦)は、上るのに大変難儀してしまいました。
周りのハイカーはのぼり慣れていて、私よりもずっとペースが速く、それを思うと自分が嫌になり、下りたくさえなりました。
上を見ると、んなり高いところに人が小さく見えて、
「あんなところまで登らなくてはならないのか?」と思うと、それだけで心が疲れ果ててしまいました。
一歩一歩がとても重く感じられました。
そんな折、ふと仲間を見ると、ただ黙々と上っていました。
まったく苦しそうにしていません。
「苦しんでいる仲間と私の差はいったい何だろう?」と考えていると、あることに気が付きました。
それは、仲間の視線の方向です。
仲間は先を見ずに、常に「足元」を見て歩いていたのでした。
つまり、それが苦しまない理由だったのです。
どういうことか?
私は余計なことを考えていたのです。
「あんなところまで登れるだろうか?」
「頂上まで、まだまだ距離がある!」
「皆、私に比べて、ペースが速いな!」
「私は、ダメだなあ~」などなど…etc.
人間は、余計なことを考えすぎて、悩まなくてもいいことで、悩んでしまうことが意外と多いんです。
不安に思っていたことでも、終わってみれば、
「なんだ~、こんなことか」ということがよくあります。
「取り越し苦労のくたびれもうけ」という言葉があるように考えすぎると、かえって逆効果なのです。
☆彡今日の一言
①「悩みのほとんどは取り越し苦労で終わるものだ」
「Que Será, Será」は「なるようになる(Whatever will be, will be)」という意味のスペイン語だとされている。
※1956年ヒッチコック監督映画『知りすぎていた男』の主題歌で、主演女優で歌手でもあるドリス・デイが歌った。 日本でも歌詞を日本語訳され、雪村いづみ、ペギー葉山らの競作によってヒットした。
Doris Day - Que Sera Sera "The Man Who Knew Too Much" | Hitchcock Presents
◆名言 マーク・トウェイン
私がこれまで、思い悩んだことの内、98%は取り越し苦労だった。
★マーク・トウェイン
マーク・トウェイン(Mark Twain, 1835年11月30日 - 1910年4月21日)、本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズ(Samuel Langhorne Clemens)は、アメリカ合衆国の作家、小説家。ミズーリ州出身。『トム・ソーヤーの冒険』の著者として知られ、数多くの小説やエッセーを発表、世界中で講演活動を行うなど、当時最も人気のある著名人であった。
以上は望月泰彦著「どうせ自分なんか」から「こんな自分でも」へ より一部抜粋&加筆

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★望月泰彦(もちづきたいげん)のプロフィール
日蓮宗の僧侶。山梨県南巨摩郡身延町にある長峰山慈照寺の副住職。昭和44(1969)年1月27日生まれ。山梨県甲府市出身。
平成3(1991)年、山梨学院大学卒業後、東京にて会社勤務。
退職後、仏教の大学に編入。
卒業後、定職に就けずフリーターとして過ごす。
派遣会社に勤務。
住職である父親が病となり、僧侶となることを決意、身延山にて修行。修了後、平成15年正式に日蓮宗の僧侶となる。