ハッピーライフ専科

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「青春とは、心の若さである」。 サミュエル・ウルマンの「青春の詩」は人生のビタミン剤

先日、30代の若い女性講師によるある研修会があった。

 

研修会も一通り終わったころ、次のような詩が印刷されたペーパーが配られた。

 

「青春の詩」"Youth" と書かれていた。

 

素晴らしい。

 

私はこの詩を以前より知っていたが30代の若い女性がこの詩を知っていようとは

思ってもみなかった。

 

一種の驚きを覚えた。

 

初めてこの詩と出会った時には電流が体を駆け巡る気がした。

 

フルトヴェングラー指揮、ベートーベンの「運命」を聴いた瞬間に似ていた。

 


ベートーヴェン 交響曲 第5番 「運命」 ハ短調 フルトヴェングラー/ベルリン・フィル Beethoven Symphony No. 5 C minorop.67

ジャジャジャジャーン♪~ 

 

衝撃的だった。

 

私はベートーベンの第五交響曲を「青春」と個人的に命名していたからである。

 

心が折れそうになった時、フルトヴェングラー指揮、ベートーベンの「運命」を聞くと勇気と希望が湧いてきます。

気迫がこもっていますよね。

 

同時に「青春の詩」"Youth" を読み返してみるとハッとします。

 

「青春の詩」"Youth" にある「燃える情熱」という言葉で我に返るのです。

 

もう一段階ギアチェンジしないとと「はっぱ」をかけられている気がするのです。

 

皆さん「頑張ってください」という女性講師の励ましの意味が込められていたと思う。

 

若いとはいえやるもんだ。と感心した。ありがとうございます。

 

「青春の詩」"Youth" は、サミュエル・ウルマン が70代で書いた詩で、詩集 From the Summit of Years, Four Score に収められた作品のひとつである。

 

"Youth is not a time of life; it is a state of mind"(青春とは人生のある期間を指すのでなく、心の持ち方を指すものである)とするこの詩は、若い人たちには戒めとして、シニアの方には「人生の応援歌」として必ずや役立つものと思う。

 

言い換えると「青春の詩」"Youth" は人生のビタミン剤といえるのではないだろうか。

 

 

サミュエル・ウルマン  Samuel  Ullman の詩「 Youth 青春」について

 

青春  岡田 義夫 訳 

 

青春の詩

 

青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。

 

歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

 

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、希望ある限り若く 、失望と共に老い朽ちる。

 

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く に老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。

 

  

要約 「青春とは、心の若さである」 

 

 

「青春」という名の詩―幻の詩人サムエル・ウルマン

「青春」という名の詩―幻の詩人サムエル・ウルマン

 

 

YOUTH

 

   Youth is not a time of life-it is a state of mind; it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.

 

   No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt ,self-distrust, fear and despair-these are the long ,long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

 

   Whether seventy or sixteen, there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.

 

you are yang as your faith, as old as doubt ;

 

as young as your self-confidence, as old as your fear;

 

as young as your hope, as old as your despair.

 

   So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.

 

  When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.

 

 

 

「青春の詩」の流布にはダグラス・マッカーサーが関わっている。マッカーサーは、1940年ころにジョン・W・ルイスからこの詩を贈られたという。

 

この詩を気に入ったマッカーサーは、マニラで、のちには東京でも、執務室の壁に詩のコピーを額に入れて掛け、また講演でもたびたび引用した。『リーダーズ・ダイジェスト米国版』1945年12月号は、"How to stay young" という記事において、マッカーサーの執務室にかけられているというこの詩を紹介した。

 

二次大戦終戦後、1945年9月27日に昭和天皇が,日比谷の占領軍総司令部にマッカーサー元帥を訪問した。

 

天皇マッカーサー元帥と並んでツーショット写真を取られた部屋の壁に掛けられていた詩が、この青春の詩(英文)であった。

 

この詩を、ある日岡田義夫氏説が発見し、感動し、漢詩調に翻訳した。

 

これが後に松下幸之助氏の目に止まり、あるインタービューでこの「青春の詩」を紹介し、雑誌に掲載され一躍有名になった。

 

又、ロバート・ケネディーがエドワード・ケネディーへの弔辞にこのウルマンの詩の一節を引用したのも有名な話である。

 

 

★サミュエル・ウルマン(Samuel Ullman, 1840年4月13日 - 1924年3月21日)は、アメリカの実業家・詩人・人道主義者。彼の名は詩 "Youth"(日本では「青春」あるいは「青春の詩」と訳される)でよく知られている。

 

生涯

 

1840年、ドイツ・ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン公国 (Hohenzollern-Hechingen) のヘヒンゲン(英語版)(現在はバーデン=ヴュルテンベルク州テュービンゲン行政管区ツォレルンアルプ郡に属する町)において、ユダヤ人の両親のもと生まれる。ウルマンの一家は1851年にアメリカに移住し、ミシシッピ州ポートギブソン (Port Gibson, Mississippi) に定住した。

 

1861年南北戦争が勃発すると、ウルマンはアメリカ連合国陸軍(南軍)に兵士として従軍するが翌年に除隊。1865年にミシシッピ州ナチェズに移り住んだ。

 

ウルマンはここで商売をはじめ、1867年にエマ・メイヤー (Emma Mayer) と結婚した。夫妻の間には8人の子が生まれ、6人が成長した。また、ウルマンは市会議員を務め、また地元の教育委員会の委員となった。

 

1884年、ウルマンの一家アラバマ州バーミングハムに移住。自治体として設立されて間もないこの若い町で、ウルマンは金物の小売店をはじめ、続いて不動産業も兼営した。ナチェズで商業や教育に指導的な役割を果たしたことは知られており、1884年にはバーミングハム市教育委員会の委員に選出、1893年には委員長となった。

 

18年間の教育委員在任中、彼は黒人教育に関心を寄せ、黒人にも白人と同じ教育を行うことが教育的にもプラスになると主張した。このほか、病院の設立など、ウルマンは多くの地域社会活動に携わった。

 

市のユダヤ教改革派のエマヌエル教会において、信徒団の長を務め、1890年にはレイラビ(lay rabbi, 精神指導者、在俗のラビ)になっている。ナチェズやバーミンガムにおける宗教的・教育的・社会的活動は、しばしば議論を招いたものの、敬意を払われる足跡を残した。

 

ウルマンは引退後、多くの時間を趣味(手紙やエッセイや詩の執筆)に注いだ。彼の詩や詩的なエッセイは、愛、自然、信仰、あわただしいライフスタイルの友人、そして「若く」生きることといった、さまざまな題材を扱っている。1920年4月、80歳の誕生日を記念して、それまでに書き溜められた詩を集め From the Summit of Years, Four Score『80年の歳月の頂から』が家族の手によって自費出版される(出版年については1922年とも)。1924年アラバマ州バーミングハムにおいて死去。

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